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東京高等裁判所 平成7年(行ケ)265号 判決

静岡県浜松市中沢町10番1号

原告

ヤマハ株式会社

代表者代表取締役

上島清介

訴訟代理人弁理士

飯塚義仁

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

荒井寿光

指定代理人

奥村元宏

奥村寿一

吉村宅衛

吉野日出夫

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者が求める裁判

1  原告

「特許庁が平成6年審判第2034号事件について平成7年8月9日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和58年4月23日に名称を「自動演奏装置」とする発明(後に、「電子楽器」と補正。以下、「本願発明」という。)について特許出願(昭和58年特許願第71783号)をし、平成4年2月12日に出願公告(平成4年特許出願公告第7519号。以下、同公告公報を「本願公報」という。)されたが、特許異議の申立てがあり、平成5年11月5日に拒絶査定がなされたので、平成6年2月9日に査定不服の審判を請求し、平成6年審判第2034号事件として審理されることとなった。そしで、原告は、同日付け手続補正書によって明細書の特許請求の範囲の記載の補正(以下、「本件補正1」という。)をし、次いで、同年3月9日付け手続補正書によって、明細書の特許請求の範囲の記載を更に補正するとともに、発明の詳細な説明の記載の補正(以下、「本件補正2」という。)をしたが、平成7年8月9日、本件補正1及び2を却下する旨の決定とともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年10月4日原告に送達された。

2  本願公報記載の特許請求の範囲(別紙図面参照)

(1)特許請求の範囲1(以下、「本願第1発明」という。)

楽音の音色及び効果等の楽音特性の少なくとも1つを制御するための楽音制御用データに対応する特性の楽音を楽音発生の指示に従って発生する楽音発生手段を備えた電子楽器において、

外部から供給された楽音制御情報を取り込む取込み手段と、

前記取込み手段により取り込まれた楽音制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の特性を制御する楽音制御用データに変換して前記楽音発生手段に供給する変換手段と

を備えたことを特徴とする電子楽器

(2)特許請求の範囲2(以下、「本願第2発明」という。)

音高データに基づき楽音を発生する楽音発生手段を備えた電子楽器において、

外部から供給された音高情報を取り込む取込み手段と、

前記取込み手段により取り込まれた音高情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データに変換して前記楽音発生手段に供給する変換手段と

を備えたことを特徴とする電子楽器

3  審決の理由の要点

(1)本願発明の要旨は、本願公報の特許請求の範囲の記載から、前項のとおりと認める。

なお、本願公報の発明の詳細な説明によれば、本願第2発明における「変換」は、楽音発生手段が発生できない音域の音高を示す数値のデータについて、その数値を変換して発生可能な音域の音高データにするものであると認められる。

(2)これに対し、拒絶査定の理由(特許異議の決定の理由)の概要は、次のとおりである。

本願発明は、本出願前に頒布された昭和57年特許出願公開第96396号公報(昭和57年6月15日出願公開。以下、「引用例1」という。)及び昭和53年特許出願公開第80218号公報(昭和53年7月15日出願公開。以下、「引用例2」という。)記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

(3)引用例1には、

「音高データ(T01)に基づき楽音を発生する楽音発生手段(194,198,200)を備えた電子楽器において、

外部の記憶媒体(10a)から供給された音高情報(楽譜情報)を取り込む取込み手段(12)と、

前記取込み手段により取り込まれた音高情報を、前記楽音発生手段において用いるデータ形式に変換して楽音発生手段に供給する変換手段(36)と

を備えた電子楽器」

が記載されている。

また、引用例2の特許請求の範囲には、

「演奏されたコードの根音を2進化信号で取出すコード検出回路、該2進化信号に度数信号を加算または減算する演算回路、該演算回路の出力に基づいて連続する13以上の所定範囲の音名のベース音を発生するベース音発生回路より成る自動伴奏装置において、前記演算回路の演算値が前記所定範囲を越えたとき、前記所定範囲を越えた音名に対応した前記所定範囲内の音名を表わす2進化信号に前記演算値を変換することを特徴とした自動伴奏装置」

と記載されているが、これを換言すれば、引用例2には、実質的に次の発明(以下、「引用例2記載の発明」という。)が記載されている。

「自動演奏に係るベース音発生に関して、2進化信号データ形式の音高データである音高情報を、音高発生手段において発生すべきとした所定の楽音の音高範囲、すなわち発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データに、データの形式は変更せずに音高を示す数値を変換をして、楽音発生手段に供給する変換手段を備えた電子楽器」

(4)本願第2発明と引用例1記載の発明とを比較すると、両者は、

「音高データに基づき楽音を発生する楽音発生手段を備えた電子楽器において、

外部から供給された音高情報を取り込む取込み手段と、

前記取込み手段により取り込まれた音高情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データとして前記楽音発生手段に供給する手段と

を備えた電子楽器」

である点で一致し、次の点において相違する。

本願第2発明が、楽音発生手段が発生できない音域の音高を示す数値のデータについて、その数値を変換して発生可能な音域の音高にする「変換手段」を有しているのに対し、引用例1記載の発明は、楽音発生手段が発生できない音域の音高を示す数値データの取込みを想定しておらず、したがって、上記のような「変換手段」を有していない点

(5)音域の広い高度な楽曲を音域の狭い簡易な楽器で演奏する場合、その楽器の発生不可能な音についてオクターブ変更して演奏することは通常行われている。すなわち、与えられた演奏情報が音域的に演奏不可能な場合、演奏情報を適宜にオクターブ変更して演奏することは、演奏上の常套的手法である。そして、このような音高変更操作による演奏手法は、電子楽器においても同様に採用されるべきものであり、したがって、外部から演奏情報を取り込んで自動的に演奏する引用例1記載の電子楽器においても、与えられた音域的に演奏不可能な演奏情報のデータについて、そのような音高操作による演奏手法は当然に認識されるべき課題とみることができる。一方、引用例2記載の発明は、自動演奏に係る音高データである音高情報について、「音高を示す数値を、楽音発生手段において現実に発生する所定の楽音の音高範囲に対応した音高データに変換して、楽音発生手段に供給する変化手段」を備えたものである。

そして、引用例2記載の発明も、引用例1記載の発明と同様に自動演奏機能を有する電子楽器に係るものであるから、引用例1記載の発明に、その楽器が発生不可能な音について音域(オクターブ)の変更をして演奏するための「変換手段」を付加し、該「変換手段」を、引用例2記載の発明の自動演奏に係る音高データ処理としての変換手段の構成とすることは、格別の工夫を要することなくなし得たものと認める。また、このような設計により、予期せぬ新たな効果を奏するものと認めることはできない。

(5)以上のとおりであるから、本願第2発明は、引用例1及び引用例2記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。したがって、本出願については、本願第1発明について検討するまでもなく、拒絶査定と同旨の理由によって拒絶すべきものである。

4  審決の取消事由

審決の理由の要点(3)の引用例1の記載事項は認めるが、本件補正1及び2は適法になされたものであるのに、これを却下した決定は誤りであり、したがって本願発明の要旨は本件補正2に基づいて認定されるべきものであるから、審決は、本願発明の要旨を誤って認定し、それを前提として引用例1記載の発明との一致点及び相違点を認定判断したことに帰する。また、仮に本願発明の要旨は本願公報記載の特許請求の範囲に基づいて認定すべきものとしても、審決の一致点及び相違点の認定判断は誤っており、いずれにせよ審決は違法であるから、取り消されるべきである。

(1)本件補正1について

〈1〉 本件補正1は、本願公報記載の特許請求の範囲2を削除し、同1を次のように補正するものである。すなわち、「楽音の音色を指示するための音色制御データに対応する音色特性の楽音を楽音発生の指示に従って発生する楽音発生手段を備えた電子楽器において、

外部から供給された音色を指示するための音色制御情報を取り込む取込み手段と、

前記取込み手段により取り込まれた音色制御情報に対応する音色が前記楽音発生手段において発生可能でない場合は、該音色制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な別の音色を指示する音色制御用データに変換して前記楽音発生手段に供給するものであって、該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の減衰音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の減衰音系の音色を指示する音色制御用データに変換し、該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の持続音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の持続音系の音色を指示する音色制御用データに変換して前記楽音発生手段に供給する変換手段と

を備えたことを特徴とする電子楽器」

そして、本件補正1の要点は、

a 「楽音の音色及び効果等の楽音特性の少なくとも1つを制御するための楽音制御用データ」を、「楽音の音色を指示するための音色制御データ」に限定したこと

b 取込み手段によって取り込む「楽音制御情報」を、「音色制御情報」に限定したこと

c 変換手段による変換態様について、「取り込まれた楽音制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の特性を制御する楽音制御用データに変換」するものを、「取り込まれた音色制御情報に対応する音色が前記楽音発生手段において発生可能でない場合は、該音色制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な別の音色を指示する音色制御用データに変換して前記楽音発生手段に供給するものであって」(以下、「基本補正」という。)、「該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の減衰音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の減衰音系の音色を指示する音色制御用データに変換し」(以下、「追加補正1」という。)、「該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の持続音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の持続音系の音色を指示する音色制御用データに変換」(以下、「追加補正2」という。)するものに限定したこと

に存する。

上記a及びbが、特許請求の範囲の減縮に当たることは明らかである。また、cの基本補正は、「楽音制御情報・楽音制御用データ」を「音色制御情報・音色制御用データ」に限定するものであるから、特許請求の範囲の減縮に当たる。そして、追加補正1及び2は、基本補正に伴う変換態様を2つの場合に分けて具体的に記載したものであるから、特許請求の範囲の減縮に当たることは当然である。なお、追加補正1及び2は、本願公報7欄8行ないし8欄15行の記載(すなわち、音色データ変換回路32が、低級機種の電子楽器では扱えないBグループの音色データ(以下、「Bグループの音色データ」という。)を、扱えるAグループの音色データ(以下、「Aグループの音色データ」という。)に変換するように構成されていること)を根拠とするものである。

〈2〉 しかるに、本件補正1は、前記のとおり却下された(以下、「却下決定1」という。)。その理由は、本願公報記載の特許請求の範囲1は、「取込み手段により取り込まれた音色制御情報に対応する音色が前記楽音発生手段において発生可能でない場合は」という判断要素、及び、変換内容として「音色制御情報が指示する音色が自然楽器の減衰音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の減衰音系の音色を指示する音色制御用データに変換し、該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の持続音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の持続音系の音色を指示する音色制御用データに変換」することについて何ら規定していないという点にある。

〈3〉 しかしながら、本願公報記載の特許請求の範囲1における「取込み手段により取り込まれた楽音制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の特性を制御する楽音制御用データに変換」する構成は、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生不可能であるからこそ必要であることが明らかであるから、本願第1発明は、「取込み手段により取り込まれた楽音制御情報に対応する音色が前記楽音発生手段において発生可能でない場合は、該音色制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な別の音色を指示する音色制御用データに変換」すること(すなわち、基本補正)を当然の前提としている。このことは、本願公報の発明の詳細な説明の「この発明の目的は、他機種用の音高データや楽音制御用データであっても、それを用いて楽音を発生することができる新規な電子楽器を提供することにある」(2欄25行ないし3欄1行)との記載によっても明らかである。したがって、基本補正は、実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものではない。

また、追加補正1及び追加補正2は、基本補正に伴う変換態様を具体的に記載したものにすぎないから、もとより実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものではない。

したがって、本件補正1を却下した却下決定1は誤りである。

この点について、却下決定1は、「自然楽器の減衰音系の音色」・「自然楽器の持続音系の音色」という用語は本願公報に見出だすことができず、また、変換前後の音色についての記載も示唆もない旨説示している。

しかしながら、ピアノあるいはギターのように音量レベルが徐々に小さくなる音を「減衰音」と称し、管楽器あるいはバイオリン・ビオラのように演奏中は同一の音量レベルを保つ音を「持続音」と称することは、電子楽器の技術分野においては本出願前に周知の事項である。したがって、本願公報7欄8行ないし8欄15行の記載(すなわち、Bグループの音色データをAグループの音色データに変換する例として、「ギター→ピアノ」、「クラリネット→フルート」、「ビオラ→バイオリン」があること)から、変換手段による変換態様として、減衰音系の音色同士の間で変換すること、あるいは、持続音系の音色同士の間で変換することは、当業者ならば十分に理解することができるから、却下決定1の上記説示は当たらない。なお、本願公報の第4図及び7欄39行ないし8欄12行に示されている構成は、上記のような態様の変換を簡便に行うための一例にすぎないから、第4図記載の構成を論拠として、本願公報記載の特許請求の範囲にいう「変換」は「コード変換」を意味するとした却下決定1の説示は誤りである。

(2)本件補正2について

〈1〉 本件補正2は、本件補正1によって補正した特許請求の範囲を、さらに次のように補正するものである。すなわち、

「楽音の音色を指示するための音色制御データに対応する音色特性の楽音を楽音発生の指示に従って発生する楽音発生手段を備えた電子楽器において、

外部から供給された音色を指示するための音色制御情報を取り込む取込み手段と、

前記取込み手段により取り込まれた音色制御情報に対応する音色が前記楽音発生手段において発生可能でない場合は、該音色制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な別の音色を指示する音色制御用データに変換して前記楽音発生手段に供給するものであって、該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の減衰音系弦楽器音色の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の減衰音系弦楽器音色を指示する音色制御用データに変換し、該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の持続音系弦楽器音色の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の持続音系弦楽器音色を指示する音色制御用データに変換し、また、該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の持続音系管楽器音色の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の持続音系管楽器音色を指示する音色制御用データに変換して前記楽音発生手段に供給する変換手段と

を備えたことを特徴とする電子楽器」

そして、本件補正2の要点は、変換手段による変換態様を、

d 音色制御情報が指示する音色が自然楽器の「減衰音系弦楽器音色」の場合には、楽音発生手段において発生可能な自然楽器の「減衰音系弦楽器音色」を指示する音色制御用データに変換し、

e 音色制御情報が指示する音色が自然楽器の「持続音系弦楽器音色」の場合には、楽音発生手段において発生可能な自然楽器の「持続音系弦楽器音色」を指示する音色制御用データに変換し、

f 音色制御情報が指示する音色が自然楽器の「持続音系管楽器音色」の場合には、楽音発生手段において発生可能な自然楽器の「持続音系管楽器音色」を指示する音色制御用データに変換する

ように、さらに具体的に限定した点に存するが(上記dは追加補正1に対応し、e及びfは追加補正2に対応する。)、これが特許請求の範囲の減縮に当たることは明らかである。

〈2〉 また、本件補正2によって、本願公報8欄12行の次に、「すなわち、低級機種の電子楽器で発生できないBグループの音色が減衰音系の弦楽器音色(ギター)の場合は、該低級機種の電子楽器で発生可能な別の減衰音系の弦楽器音色(ピアノ)を指示するデータTCDに変換され、一方、該Bグループの音色が持続音系の弦楽器音色(ビオラ)の場合は、該低級機種の電子楽器で発生可能な別の持続音系の弦楽器音色(バイオリン)を指示するデータTCDに変換され、また、該Bグループの音色が持続音系の管楽器音色(クラリネット)の場合は、該低級機種の電子楽器で発生可能な別の持続音系の管楽器音色(フルート)を指示するデータTCDに変換される。」の記載を加入した。この記載は、本願公報の発明の詳細な説明における実施例の説明を、より明りょうに釈明するためのものである。

〈3〉 しかるに、本件補正2も、前記のとおり却下された(以下、「却下決定2」という。)。その理由は、却下決定1とほぼ同一であり、したがって、これに対する原告の主張は、前記(1)〈3〉記載のとおりである。

(3)仮に、本件補正1及び本件補正2が不適法であって、本願発明の要旨が本願公報記載の特許請求の範囲に基づいて認定されるべきものであるとしても、審決の一致点及び相違点の認定判断は誤りである。

〈1〉 一致点の認定の誤り

審決は、本願第2発明と引用例1記載の発明は「取込み手段により取り込まれた音高情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データとして前記楽音発生手段に供給する手段」を備える点において一致する旨認定している。

しかしながら、引用例1記載の発明における「音高コード変換回路36」は、特殊なコード(ハフマンコード)を通常のコードに変換(デコード)するものにすぎず、「音高範囲」を意識した変換処理は行われていない。したがって、このような回路をもって、「楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した高音データに変換」する本願第2発明の「変換手段」に相当するものではない。

〈2〉 相違点の判断の誤り

審決は、引用例2記載の発明は「音高を示す数値を、楽音発生手段において現実に発生する所定の楽音の音高範囲に対応した音高データに変換して、楽音発生手段に供給する変換手段」を備えている旨認定している。

しかしながら、引用例2記載の発明は、和音の根音を演算することによって得られたベース伴奏音がメロディ音より高くなるとメロディ音より目立つことになり好ましくないので、ベース伴奏音をメロディ音の範囲内に入るように変換することを特徴とするものであって、演算によって得られたベース伴奏音が発生不可能であるからこれを変換するものではない。したがって、引用例2に記載された構成は、相違点に係る本願第2発明の構成(すなわち、取込み手段より取り込まれた音高情報を、楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データに変換して楽音発生手段に供給する変換手段を有する構成)とは相違するものである。

この点について、被告は、審決は「与えられた演奏情報が音域的に演奏不可能な場合、演奏情報を適宜オクターブ変更して演奏することは演奏上の常套手法である」とし、そのような「演奏手法は電子楽器においても同様に採用されるべきもの」と説示している旨主張する。

しかしながら、上記「演奏上の常套手法」は、人が楽器を演奏するときの常套手法であるから、これが直ちに、「自動的に演奏する(中略)電子楽器」において「当然に認識されるべき課題」であるとするのは誤りであり、したがって、引用例2記載のデータ処理手法を引用例1記載の自動演奏装置に適用するという発想も生ずる余地がない。

そして、本願第2発明は、相違点に係る構成を備えることによって、低級機種の電子楽器においても音高情報を広く利用し得るという顕著な作用効果を奏するものであるから、相違点に係る審決の判断は誤りである。

第3  請求原因の認否及び被告の主張

請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願公報記載の特許請求の範囲)及び3(審決の理由の要点)は認める。同4(審決の取消事由)のうち、本件補正1及び2の補正内容は認めるが、その余は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

1  本件補正1について

原告は、本願公報記載の特許請求の範囲1における「取込み手段により取り込まれた楽音制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の特性を制御する楽音制御用データに変換」する構成は、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生不可能であるからこそ必要なのであるから、「取込み手段により取り込まれた楽音制御情報に対応する音色が前記楽音発生手段において発生可能でない場合は、該音色制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な別の音色を指示する音色制御用データに変換」すること(すなわち、基本補正)を当然の前提とする旨主張する。

しかしながら、「取込み手段により取り込まれた楽音制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の特性を制御する楽音制御用データに変換」する構成には、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生可能か不可能かの判断を伴わない構成(例えば、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生可能か否かを問わず、すべての楽音制御情報を楽音発生手段において発生可能な楽音制御用データにする構成)が含まれるから、原告の上記主張は当たらない。

また、原告は、追加補正1及び2は本願公報7欄8行ないし8欄15行の記載(すなわち、音色データ変換回路32が、Bグループの音色データをAグループの音色データに変換するように構成されていること)を根拠とするものであるところ、「減衰音」及び「持続音」の概念は本出願前に周知であるから、減衰音系の音色同士の変換あるいは持続音系の音色同士の変換の態様は、当業者ならば本願公報の記載から十分に読み取ることができる旨主張する。

しかしながら、本願公報には、

イ  Bグループの音色データを、Aグループの音色データに変換すること

ロ  Bグループの音色データの例として「ギター、クラリネット、ビオラ、ソプラノ」があり、Aグループの音色データの例として「ピアノ、フルート、バイオリン、テナー」があること

ハ  Bグループの音色データをAグループの音色データに変換する例として「ギター→ピアノ」、「クラリネット→フルート」、「ビオラ→バイオリン」、「ソプラノ→テナー」があること

が記載されているのみであって、

α ギター、ピアノが減衰音系であり、クラリネット、フルート、ビオラ、バイオリンが持続音系であること

β 減衰音系の音色同士の間で変換すること、あるいは、持続音系の音色同士の間で変換すること

は記載されていないし、αの組分け自体が周知であっても、その組分け同士の関係として変換態様を規定するβの事項は周知ではない。

したがって、本件補正1は、実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものであるから、却下決定1に誤りは存しない。

2  本件補正2について

本件補正2は、本件補正1と同一の理由によって却下されるべきものであるから、却下決定2は正当である。

3  一致点及び相違点の認定判断について

(1)一致点の認定について

原告は、引用例1記載の発明における「音高コード変換回路36」は特殊なコードを通常のコードに変換(デコード)するものにすぎないから、これを本願第2発明の「変換手段」に相当するとはいえない旨主張する。

しかしながら、特殊なコード(ハフマンコード)を通常のコードにデコードすることは、「取込み手段により取り込まれた音高情報を、楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データに変換する」ことに他ならないから、審決の一致点の認定に誤りはない。

(2)相違点の判断について

原告は、引用例2の記載は相違点に係る本願第2発明の構成(すなわち、楽音発生手段が発生できない音域の音高を示す数値のデータについて、その数値を変換して発生可能な音域の音高にする「変換手段」を有する構成)と相違するものである旨主張する。

しかしながら、審決は、「与えられた演奏情報が音域的に演奏不可能な場合、演奏情報を適宜オクターブ変更して演奏することは演奏上の常套的手法である」とし、そのような「演奏手法は電子楽器においても同様に採用されるべきもの」と説示しているのである。そして、審決は、そのような「演奏手法」を引用例1記載の自動演奏装置において実現するために、引用例2に開示されているデータ処理手法を適用することに格別の困難はない旨判断しているのであるから、原告の上記主張は審決の趣旨に副わないものである。この点について、原告は、上記「演奏上の常套手法」は人が楽器を演奏するときの常套手法」であるからこれが直ちに自動演奏の電子楽器において認識されるべき課題とするのは誤りである旨主張するが、自動演奏の電子楽器は、人が行う楽器演奏を無人的に行わせることを企図するものであるから、原告の上記主張は当たらない。

第4  証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第1  請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願公報記載の特許請求の範囲)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第2  そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

1  成立に争いのない甲第2号証(本願公報)によれば、本願発明の出願公告時の明細書には本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次のように記載されていることが認められる。

(1)技術的課題(目的)

本願発明は、外部から供給される音高情報あるいは楽音制御情報に従って発生楽音の制御を行う電子楽器、特に、データの変換手段を設けることによって他機種用の情報に基づく発生楽音の制御を可能とした電子楽器に関する(1欄23行ないし27行)。

電子楽器には多機種のものが存在するが、高級機種は低級機種に比べて音域が広く、音色・効果等の機能も多いのが普通であるし、同級機種であっても仕様によって音域や音色等が異なる場合がある。そのため、音高データあるいは楽音制御用データは当該機種に適する形で構成されており、ある機種のデータでは他機種の電子楽器を制御できないことがしばしばあった(2欄8行ないし18行)。

このような不都合をなくすため、異なる機種において共通して使用できるようにデータを構成することも考えられるが、その場合は高級機種の演奏態様が低級機種の演奏態様によって制約されることになり、高級機種の機能を十分に発揮することができない(2欄19行ないし24行)。

本願発明の目的は、他機種用の音高データや楽音制御用データを用いて楽音を発生することができる電子楽器を提供することである(2欄25行ないし3欄1行)。

(2)構成

上記の目的を達成するため、本願発明はその要旨とする構成を採用したものである(1欄2行ないし21行)。

すなわち、本願発明は、外部から提供される音高情報あるいは楽音制御情報を、当該電子楽器の楽音発生手段において発生可能な楽音に合わせた音高データあるいは楽音制御用データに変換する変換手段を設けたことを特徴とする(3欄2行ないし6行)。

(3)作用効果

本願発明によれば、他機種用の音高データあるいは楽音制御用データであっても、それを用いて楽音を発生することができるので、機種の制約を受けず、自由度が向上するとの作用効果を奏する(9欄14行ないし10欄3行)。

2  本件補正1及び2について

本件補正1及び2における補正内容が、審決の取消事由(1)〈1〉及び(2)〈1〉・〈2〉記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

原告は、本願第1発明は基本補正を当然の前提としているから、基本補正は実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものではなく、また、追加補正1及び2は基本補正に伴う変換態様を具体的に記載したものにすぎず、もとより実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものではないから、却下決定1は誤りである旨主張する。

まず、基本補正について検討すると、成立に争いのない甲第3号証(補正の却下の決定)によれば、却下決定1が基本補正は不適法であるとする理由は、本願公報記載の特許請求の範囲には「取込み手段により取り込まれた音色制御情報に対応する音色が前記楽音発生手段において発生可能でない場合は」という判断要素が何ら規定されていない(2頁16行ないし3頁6行)という点にあることが認められる。

しかしながら、本願公報記載の特許請求の範囲1における「取込み手段により取り込まれた楽音制御情報を、前記楽音発生手段において発生可能な楽音の特性を制御する楽音制御用データに変換」する構成は、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生不可能な場合があるからこそ必要とされることは当然である。そうすると、そのような変換手段は常に使用されるものではなく、同手段を使用するか否かの決定に先立って、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生可能か不可能かの判断が行われるべきことは技術的に自明の事項である。したがって、基本補正は「明りょうでない記載の釈明」を目的とするものということができるから、却下決定1の上記説示は当たらないというべきである。

この点について、被告は、本願公報記載の特許請求の範囲1における上記構成には取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生可能か不可能かの判断を伴わない構成(例えば、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生可能か否かを問わず、すべての楽音制御情報を楽音発生手段において発生可能な楽音制御用データにする構成)が含まれる旨主張するが、取り込まれた楽音制御情報が楽音発生手段において発生可能な場合は、変換手段においていかなる意味においても「変換」の作用は行われないのであるから、被告の上記主張は本願第1発明の構成に符合しないものである。

次に、追加補正1及び2について検討すると、前掲甲第3号証によれば、却下決定1が追加補正1及び2は不適法であるとする理由は、本願公報記載の特許請求の範囲1には「音色制御情報が指示する音色が自然楽器の減衰音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の減衰音系の音色を指示する音色制御用データに変換し、該音色制御情報が指示する音色が自然楽器の持続音系の場合には前記楽音発生手段において発生可能な自然楽器の持続音素の音色を指示する音色制御用データに変換」するという変換内容が何ら規定されていない(2頁16行ないし3頁6行)という点にあることが認められる。

この点について、原告は、減衰音と持続音の概念は本出願前に周知の事項であるから、当業者ならば、本願公報7欄8行ないし8欄15行の記載から、変換手段による変換は減衰音系の音色同士、あるいは持続音系の音色同士で行われるべきことを十分に理解できる旨主張する。

確かに、楽音の音色が減衰音系と持続音系に分類されることは一般常識に属するが、そのことから直ちに、追加補正1及び2に係る事項が本願公報の記載から一義的に導き出せるということはできない。すなわち、前掲甲第2号証によれば、本願公報7欄8行ないし8欄15行には、

a  高級機種がピアノ、フルート、バイオリン、ボーカル(テナー)、ギター、クラリネット、ビオラ、ボーカル(ソプラノ)の8音色を指定可能、低級機種がピアノ、フルート、バイオリン、ボーカル(テナー)の4音色を指定可能の実施例において、

b  低級機種に備えられている別紙図面第4図の回路を使用して、ギターの音色をピアノの音色に、クラリネットの音色をフルートの音色に、ビオラの音色をバイオリンの音色にそれぞれ変換すること

が記載されていることが認められる。そして、ギター・ピアノの音色が減衰系であり、クラリネット・フルート・ビオラ・バイオリンの音色が持続系であることも一般常識に属するから、上記実施例には、結果として、減衰系音色同士、あるいは持続系音色同士で音色変換することが記載されていることになる。しかしながら、前掲甲第2号証によれば、いかなる理由によって減衰系音色同士、あるいは持続系音色同士で音色変換をするのか、そのような態様の音色変換を行えばどのような演奏効果が得られるのかについては、全く記載が存しないことが認められる。そして、減衰音系音色を持続音系音色に、あるいは、持続音系音色を減衰音系音色に変換することが技術的に不可能または困難であるとする理由は考えられないから、上記の実施例の変換態様のみを論拠として、低級機種の楽音発生手段において発生不可能な音色が減衰音系のときは常に発生可能な減衰音系の音色に変換し、発生不可能な音色が持続音系のときは常に発生可能な持続音系の音色に変換すべきものとする技術的思想が一義的に導き出されるということはできないというべきである。

そうすると、本件補正1は、特許法17条の3第1項各号(平成6年法律第116号による改正前の規定)所定のいずれにも該当しない事項を目的とするものであって、実質上特許請求の範囲を拡張または変更するものであるから不適法であり、したがって、本件補正1を前提として変換手段による変換態様をさらに詳細に規定した本件補正2もまた不適法である。

以上のとおりであるから、本件各補正を不適法として却下した却下決定1及び2は正当であって、本願公報記載の特許請求の範囲に基づいて本願発明の要旨を認定した審決に誤りは存しない。

3  一致点の認定について

原告は、引用例1記載の発明における「音高コード変換回路36」は特殊なコードを通常のコードに変換(デコード)するものにすぎず、「音高範囲」を意識した変換処理は行われていないから、このような回路をもって「楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データに変換」する本願第2発明の「変換手段」に相当するとはいえない旨主張する。

しかしながら、引用例1に審決の理由の要点(3)摘示の技術事項が記載されていることは当事者間に争いがなく、この技術内容に照らすと、そのままでは楽音発生手段において発生不可能なコードを発生可能なコードに変換する作用を行う点において、本願第2発明の「変換手段」と引用例1記載の「音高コード変換回路36」とが共通することは明らかである。そして、審決は、「楽音発生手段が発生できない音域の音高を示す数値のデータについて、その数値を変換して発生可能な音域の音高にする」構成の有無を相違点として認定判断しているのであるから、審決の一致点の認定は不正確ではあるが、この点が審決の結論に影響を及ぼすとはいうことはできない。

4  相違点の判断について

原告は、引用例2記載の発明におけるベース伴奏音の変換は得られたベース伴奏音が発生不可能のため行われるものではないから、引用例2の記載の構成は相違点に係る本願第2発明の構成(すなわち、取込み手段により取り込まれた音高情報を、楽音発生手段において発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データに変換して楽音発生手段に供給する変換手段を有する構成)とは相違するものである旨主張する。

しかしながら、成立に争いのない甲第8号証によれば、引用例2記載の発明の特許請求の範囲は審決の理由の要点(3)摘示のとおりであって、この記載に発明の詳細な説明を参酌すると、引用例2記載の発明の変換手段における音高データは、発生可能な楽音の音高範囲に対応した音高データであると限定されるものではないが、引用例2には、「音高を示す数値を、楽音発生手段において現実に発生する所定の楽音の音高範囲に対応した音高データに変更して、楽音発生手段に供給する変換手段」が開示されていると認められるから、この点において、本願第2発明の変換手段の構成と差異はない。そして、審決は、「与えられた演奏情報が音域的に演奏不可能な場合、演奏情報を適宜オクターブ変更して演奏することは演奏上の常套手法である」旨説示したうえ、そのような「演奏上の常套手法」を自動演奏の電子楽器において実現するために、引用例2に開示されているデータ処理手法を採用することに格別の困難はない旨判断しているのであるから、原告の上記主張は審決の趣旨の副わないものといわざるを得ない。

この点について、原告は、上記「演奏上の常套手法」は人が楽器を演奏するときの常套手法であるから、これが直ちに、自動演奏の電子楽器において当然に認識されるべき課題とはいえない旨主張する。

しかしながら、自動演奏の電子楽器は、本来、人が行う楽器演奏を無人的に行わせることを企図するものであるから、人が楽器を演奏するときの常套手法を無人的に行わせることも、当然に電子楽器において解決すべき技術的課題として認識されると考えるべきであって、原告の上記主張は当たらない。そして、引用例1記載の自動演奏装置と引用例2記載の自動伴奏装置が極めて近似する技術分野に属することはいうまでもないから、引用例1記載の発明に「変換手段」を付加することとした場合、その具体的手法として引用例2記載のデータ処理手法を適用することには格別の工夫を要しないとした審決の判断は正当である。

なお、原告は、本願第2発明は相違点に係る構成を備えることによって低級機種の電子楽器においても音高情報を広く利用し得るという作用効果を奏する旨主張するが、そのような作用効果は、引用例1記載の発明に引用例2記載のデータ処理手法を適用すれば当然にもたらされるものであるから、本願第2発明に特有のものということはできない。

以上のとおりであるから、相違点に係る審決の判断にも誤りは存しない。

第3  よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)

別紙図面

第1図……本願発明の一実施例による自動演奏装置をそなえた電子楽器のブロック図

第4図……音色データ変換回路の回路図

〈省略〉

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